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広島高等裁判所岡山支部 平成3年(う)136号 判決

本籍

山口県大島郡橘町大字西安下庄五四番地

住居

岡山県倉敷市連島三丁目六番三三号

会社役員

末金辰一

昭和一八年七月五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成三年一〇月一五日岡山地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官松田達生出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

本件を岡山地方裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、主任弁護人院去嘉晴及び弁護人藤本徹が連名で提出した控訴趣意書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は検察官大口善照が提出した答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について

所論は、要するに、原判決は、原判示第一及び第二記載の有価証券売買益及び配当所得がすべて被告人個人の所得であると認定し、これをもとに算定したほ脱税額を認定したが、被告人が行った有価証券の売買の資金は、被告人の父末金壽滿が会社経営で残した裏金(簿外資産)を父の死亡後の昭和五三年八月ころ、兄末金利夫、被告人、母末金節子の三名で分割する協議をしたものの、現実にはその実行をせず、その全額を被告人が預って運用して有価証券の売買に当てて利益を上げたものであって、原判示の有価証券売買益及び配当所得は右三名の共同出資の資産による所得であり、その全部が被告人個人の所得ではないのであるところ、原判決は、被告人及び弁護人が執行猶予になるものと期待して、公訴事実を争わなかったため、原審記録上、右の所得が共同出資によるものであることを窺わせる証拠があるのに、十分な検討を行わずに、その評価を誤り、事実を誤認したもので、右の誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討する。

1  本件有価証券売買の原資である裏金(簿外資産)について

被告人の父末金壽滿(以下「壽滿」という。)が会社経営中に裏金(簿外資産)を作り、同人が死亡した昭和五三年二月当時これが多額に達し(被告人の当時の概算で約一億五〇〇〇万円、本件発覚後の国税局の調査では、約一億七三三一万円)、同年三月ころ(弁護人は、当審で、同年八月ころと主張し、被告人は、当審公判において、遺産分割より時期的にちょっと遅れていたかも知れないと供述しており、その時期は断定できない。)、被告人の兄末金利夫(以下「利夫」という。)が八〇〇〇万円、被告人が四〇〇〇万円、母末金節子(以下「節子」という。)が残り全部を分配取得する旨の合意(以下「裏金分配合意」という。)をし、右の各取得分は三名に帰属することになったが、現実には右の分配の実行をせず、被告人に預けたままで、被告人がこれを運用することになったことは、被告人が捜査段階以来供述するところであり(被告人は、大蔵事務官の初期の取調べにおいては、裏金分配合意を供述していなかったこと、右合意の時期が、未だ父壽滿の遺産の分割協議さえ行っていなかった時期である壽滿の四九日の法事があったころということ、その合意の内容は非常に概括的でこれを記載した書類はもとより、メモさえ残されていないことから、右裏金分配合意の存在は疑問があるが)、検察官及び弁護人ともその主張の前提とする事実である。

本件の問題点は、〈1〉右のとおり利夫及び節子が裏金(以下、裏金分配合意後は、単に「裏金」という。)の各取得分を被告人に預けて運用を任せた行為がどのような法律的性質の行為であるか、〈2〉裏金分配合意の後、右裏金の分配が実行されたかどうかである。

2  利夫及び節子が被告人に裏金を預けて運用させた行為について

(一)  裏金分配合意は、前示のように、利夫及び被告人のそれぞれの取得分の金額を定め、その余を節子の取得とするというもので、実質は、各自の取得分の割合を決めたに等しく、その際、利夫及び節子と被告人との間で、裏金(簿外資産)が預金、債券、株式等どのような形で、幾らの金額が存在するかが確認された事実はなく、今後どのような方法で運用するか、利益及び損失を、いつ、どのように配分又は精算するか、費用はどうするか、運用経過の報告はどうするか、運用の期限はいつまでかなどについては全く話し合った事実もない。

(二)  そこで、裏金(簿外資産)が作られた経過、裏金分配合意の前後の運用状況をみることとする。

壽滿は、昭和三二年ころ、大阪市で大正電機商会という名称で電機材料等の販売業を営み、その長男である利夫はそのころ、大学を中退して壽滿の営業を手伝い、利夫と昭和三五年に結婚した末金美恵子もその事務員として働き、同年ころ、岡山県倉敷市の水島コンビナート関連会社に対し販売を行う中国営業所を開設し、利夫がその責任者となって営業を続け、被告人も昭和四二年三月大学卒業と同時に大正電機商会に入り、兄利夫と共に中国営業所で働いていたが、壽滿は、昭和四二年七月、大阪市に本店を置く有限会社矢島電機商会(以下「会社」という。)を設立して、大正電機商会の営業を引き継ぎ、壽滿が代表取締役、利夫及び被告人は取締役となり、本店で電機材料等を仕入れ、中国営業所でこれを販売していたところ、壽滿は、昭和四四年ころ、会社の経営危機の際に備えて、中国営業所の数か所の販売先からの代金を裏金(簿外資産)として別に預金することを利夫らに指示し、経理事務を担当していた利夫の妻美恵子が管理することになり、同女は岡山県外に本店を有する銀行の支店に会社の隠れた預金口座を設けて、売上金の一部を預金していた。しかし、昭和四九年ころ、壽滿の指示で、被告人が美恵子に代わって裏金(簿外資産)の管理をするようになり、当初仮名で証券会社や信託銀行に取引口座を設けて投資信託、金銭信託、定期預金などとして管理したが、翌年になって、野村証券神戸支店に利夫名義及び被告人名義で取引口座を設けて、裏金(簿外資産)により利夫及び被告人名義で割引債を購入したほか、被告人は、裏金(簿外資産)で被告人及び利夫名義で予てから関心を持っていた株式の取引を始め或いは貸付信託をし、昭和五二年には知人楠戸鉄造の名を借りて、岡三証券及び山一証券の各岡山支店に同人名義の取引口座を開設して、同口座で引き続きかなり大きな株式取引をするようになった。

昭和五三年二月一四日壽滿が死亡し、その後は裏金(簿外資産)を作るのは中止したが、同年三月当時、裏金(簿外資産)の管理運用のために、野村証券神戸支店の利夫名義及び被告人名義の口座、岡三証券岡山支店及び山一証券岡山支店の楠戸鉄造名義の口座、住友信託岡山支店に無記名の口座があり、被告人がこれらの口座を使用して割引債の保管、株式取引を行っていた。なお、その他に、岡三証券岡山支店に被告人個人資金による取引口座があった。そして、昭和五四年から昭和五六年にかけ、被告人は、日興証券岡山支店、野村証券大阪支店に利夫及び節子名義の口座を設け、従前の利夫及び被告人名義の割引債を振り替えて、利夫及び節子名義の割引債の売買を行い、岡三証券静岡支店に被告人名義の口座を設けて被告人名義の割引債の購入や株式取引を行った。その間には、節子から被告人個人の普通預金口座に送金された五五〇万円のうち五二七万四〇〇〇円が裏金運用口座に入金されて株式取引の資金とされ、同じく節子から被告人個人の普通預金口座に送金された五〇〇万円が節子名義の岡三証券岡山支店の取引口座で株式取引された後、その株式が被告人の個人資金取引口座に入庫され、節子名義の貸付信託の解約金により節子名義の野村証券天王寺駅前支店の取引口座で購入された日本石油株三〇〇〇株が被告人の個人資金取引口座に入庫され、節子の持ち株である東芝鋼管株三〇〇〇株が裏金運用口座に入庫され、裏金運用口座の割引債の償還金が被告人の個人資金取引口座に入金されたり、被告人の個人資金取引口座による取引株式が裏金運用口座に入庫されるなど、裏金とその他の資金が混同して株式取引に当てられている部分がある。

そして、右の裏金の運用について、割引債や株式銘柄の選定、代金の決済等は利夫や節子の事前事後の了解なく、全く被告人の独自の裁量により行い、利益が出ても年度毎に利夫らに報告することもなく、利益は株式取引に投資し、被告人が自己固有の資金を投資している場合と同じように処理していた。

すなわち、裏金による取引と個人資金による取引が入り混っている部分があるが、裏金分配合意前と後で被告人の裏金の管理運用の方法には殆ど変化はないことが認められる。

なお、当審で提出された壽滿の遺産に関する遺産分割協議書写しによると、利夫が中国営業所所在の宅地建物、被告人が本店所在の宅地建物、壽滿の長女村田光子が壽滿名義の定期預金の一部四五〇万円を相続し、壽滿の会社に対する出資金、同人名義の普通・定期・積立預金、貸付金等の債権類は節子が相続する旨の遺産分割協議が成立した旨の昭和五三年七月一五日付けの遺産分割協議書が作成されているが、被告人が野村証券神戸支店の利夫名義及び被告人名義の口座、岡三証券岡山支店及び山一証券岡山支店の楠戸鉄造名義の口座、住友信託岡山支店の無記名の口座で管理していた裏金(簿外資産)及び住友信託岡山支店の壽滿個人名義の信託取引口座にあった元本五〇〇万円の貸付信託及び元本一四〇万五五二六円の金銭信託については、遺産分割の協議の対象とされていない。

(三)  検察官は、原審の冒頭陳述及び論告において、利夫及び節子が裏金分配合意による取得分を被告人に預けて運用させた行為は、利殖契約ともいうべき消費寄託であると主張し、取得分である元金に債券などの有利な利息程度を上乗せした金額を受け取るようにして貰いたいとの趣旨で預けたものであると主張している。

原審において取り調べた被告人の捜査段階の供述調書は、検察官に対するもの(以下「検察官調書」という。)で、平成三年二月二五日付けから同年三月一九日付けまで一六通であるが、当初、本件有価証券売買は利夫、被告人及び節子の三名の裏金の取得分を資金とするもので、その利益も三名に帰属するという、いわゆる三分割説による供述をしていたが、同月一二日付けの供述調書(原審検察官請求証拠等関係カード番号〔以下『原検番号』という。〕43)によると、数人の税理士と相談し、三分割説に自信を持っていたが、弁護人から三分割説は通らないと指摘された上、検察官からも、三分割説は通らないとして、時には怒られながら強く説得されて、観念し、五億二〇〇〇万円余の脱税を全面的に受け入れる決心をしたというのである。そして、同日付け検察官調書(原検番号45)では、昭和五三年三月、三人で裏金分配の話をしたが、取り分を確認しただけで、分割実行の時期、管理運用の方法、利益分配、損失分担の基準や方法等は定めなかったと供述し、平成三年三月一三日付け検察官調書では、資金を出し合って事業を行い、利益を出資者に分配するということで二人から預かったものではなく、信託銀行と同様な趣旨でもないと供述しているものの、「いままで通り運用管理すればよいと考えていた」と供述しており、右供述は、裏金の所有権が被告人に帰属し、被告人の個人資産に転化したという趣旨まで含んでいるとはいえない。その後の検察官調書は、昭和五五年に利夫の裏金の取得分を分配して精算したこと、利夫から昭和五七年四月、四二九七万円を借りて株式取引に当てたこと、右「借金の利息は年利九・一パーセントで評価して下さるということですが、それに文句はありません。」と供述し、本件有価証券売買益から右の四二九七万円に対する年九・一パーセントの割合の利益を控除すること、昭和五三年九月に五五〇万円、同年一一月に五〇〇万円を節子から送金を受け、株式取引に当てた分の有価証券売買益は節子の利益であること、節子個人の株であって、被告人個人資金取引口座に入庫した日本石油株三〇〇〇株、裏金運用口座に入庫した東芝鋼管株三〇〇〇株は、「裏金の母の取り分と同様に評価していただいて結構です。」と供述して、その売買益は被告人の所得とすることなどを内容とし、特に平成三年三月一七日付け検察官調書において、節子の裏金の取得分は、「暗黙の了解として、一種の利殖を私が母から請け負った」もので、年六パーセント程度の利息を付けて返せばいいと考えていたので、その利息分を超えるものは被告人の利益であり、「利息分九・一パーセントで納得できます。」と供述して、節子の裏金の取得分による有価証券売買益は、右の九・一パーセントの利息分以外は被告人に帰属することを認めている。

そこで、次に、当審で被告人の供述経過の趣旨で取り調べた大蔵事務官作成の被告人に対する質問てん末書を検討すると、右質問てん末書は、昭和六三年九月二九日付けから平成元年三月八日付けまで二一通あるが、被告人は、昭和六三年九月二九日広島国税局係官の査察調査を受けたものであるところ、同日付け質問てん末書では、当時存在した被告人名義の岡三証券静岡支店、岡三証券岡山支店、三洋証券岡山支店及び野村証券大阪支店の取引口座、楠戸鉄造名義の山一証券岡山支店の取引口座はいずれも被告人個人のものであると供述し、同年一〇月五日付け質問てん末書では、供述を変更し、被告人名義の岡三証券静岡支店の口座による株式取引は節子の取引であると供述していたが、同年一〇月六日付け質問てん末書で初めて裏金(簿外資産)の分配の供述をし、壽滿が死亡した当時、裏金(簿外資産)が約一億五〇〇〇万円あり、昭和五三年三月から四月ころ、節子、利夫及び被告人の三名で裏金(簿外資産)を分配する相談をし、利夫が八〇〇〇万円、被告人が四〇〇〇万円、節子が残り約三〇〇〇万円を取得することに決まり、割引電電債が償還期限前であったので、分配の実行はしなかったが、昭和五五年九月二六日に利夫及び節子名義で割引債を買い、右両名のそれぞれの取り分(相続分)を分配し、山一証券岡山支店の楠戸鉄造名義の取引口座の株式取引の資金は右の裏金(簿外資産)のうち被告人の取り分を当てたと供述し、昭和六三年一一月一一日付け質問てん末書でも、あくまで岡三証券静岡支店の口座は節子のものであると強調し、口座間に資金の交流があり、裏金と正規の資金が区分されていないことを指摘されて、自分としては区分しているものと思っている旨供述し、同月二四日付け質問てん末書においても、裏金の節子の取り分は節子のものとして岡三証券静岡支店の口座で管理することを決めていたと供述していたが、その最後になって思い違いがあって、金の出入りその他の状況から右の口座が一〇〇パーセント節子のものだとはいえない気持ちになったと供述し、裏金(簿外資産)の分配の基準は、単に利夫が半分、被告人と節子が残りの半分宛と分けたに過ぎないと供述し、同月二五日付け質問てん末書では、裏金(簿外資産)の分配は完了しておらず、利夫に取り分の一部として割引国債を渡しているが、これはやかましく分配を迫られたからで、確定的に分配したものではなく、また、節子には全く分配しておらず、節子からはその他に約二〇〇〇万円と東芝鋼管株を預かって運用しており、山一証券岡山支店の楠戸鉄造名義の口座、岡三証券静岡支店、岡三証券岡山支店、三洋証券岡山支店の被告人名義の口座は裏金(簿外資産)の利夫、節子及び被告人に分配する分や節子から預かった資金などで運用してきており、岡三証券静岡支店の口座に他の口座から移し替えた金が入っており、右の口座は三人のものだと思いますが、自分が管理運用を任され、他の二人に知らせず、自分が独自の判断で株式取引をしたので、利益についても二人に報告していないので、税金は当然自分が申告し、納入しなければならないものであると供述し、平成元年一月一二日付け質問てん末書では、税理士に相談したとして、裏金(簿外資産)分配の合意については先の供述どおり供述し、昭和五五年九月二六日利夫名義で額面一億〇四〇〇万円、節子名義で二二〇〇万円の割引債を買った理由は分からないと供述し、平成元年一月二〇日付け質問てん末書において、裏金の分配は行っておらず、山一証券岡山支店の楠戸鉄造名義の口座及び岡三証券静岡支店の被告人名義の口座は裏金で取引を始めた口座であるので、利夫、節子及び被告人三名の口座であり、岡三証券岡山支店の被告人名義の口座は、被告人個人の資金で取引を始めたものであるが、裏金が混入したので、同じく三名のものであり、野村証券大阪支店の利夫名義の口座、岡三証券岡山支店の楠戸鉄造名義の口座(昭和五五年九月二二日取引終了)及び岡三証券岡山支店の黒川京藏名義の口座(昭和五四年一〇月二二日取引終了)も同様であり、三洋証券岡山支店の被告人名義の口座は岡三証券岡山支店の被告人名義の口座から出庫した株式をもとに取引を始めたので三名分の裏金及び被告人個人の資金が混入しているので、三名の口座であるとこれまでの供述を翻し、裏金の分配はなく、三分割説の主張を明確にし、岡三証券静岡支店の取引を節子のものと主張していたのは、同口座の取引だけでは株の売買回数が課税要件に当たらず、主張が通りそうで、節子にも迷惑を掛けないと思ったからであり、その余の口座の取引を被告人の取引であると主張していたのは、節子及び利夫が助かるだろうと思ったためであると供述し、平成元年二月三日付け質問てん末書(当審検察官請求証拠等関係カード番号21)では、会社のものである裏金(簿外資産)を三名の個人のものにすること及び従来と同様に被告人が管理運用することの話ができただけであると供述している。

すなわち、被告人の捜査段階の供述は、大蔵事務官の質問調査開始から検察官の取調べ終了まで約二年五か月余にわたっており、その間、被告人の供述は、自己に有利な事実の供述をしようとして変遷しており、当初から三分割説を供述していたものではないが、被告人の当審公判供述を併せて考えると、平成三年三月一二日の検察官の取調べにおいて、右の三分割説を撤回した供述は、その供述内容が真実かどうかはともかく、被告人の真意に沿うものであったというのは疑問がある。

なるほど、節子及び利夫の検察官に対する各供述調書には、取得分である元金に債券などの有利な利息程度を上乗せした金額を受け取ることができればよいと思っていた旨の供述記載があるが、右各供述調書の記載は文面上いかにも検察官の誘導による供述であることが窺われ、節子の原審及び当審証言、利夫の原審証言と対比すると、直ちに採用することはできない。

そして、裏金分配合意当時、利夫及び被告人名義の額面一億四〇〇〇万の割引債があったが、その物の性質上通常ではこれを消費寄託の目的物とすることはないというべきであり、また、消費寄託とすれば、割引債、株式及び預金という形で存在した裏金の所有権がすべて被告人に帰属したものとせざるを得ないが、裏金分配の合意をしたその場で、他になんらの明示的な取り決めもしないのに、利夫及び節子の意思がその裏金の取得分の所有権ないし共有持分権を被告人に帰属させる意思であったとは認められない。

節子の検察官に対する供述調書には、「分けた時点で裏金は形式的な面において会社の金から私達三人の個人の金になった。」という取調検察官の法律的意見の現れと思われる記載があるが、裏金(簿外資産)がもともと会社の資産として形成されたため、本件有価証券売買の収益を被告人個人の所得であるという検察官の主張としては、その所得の基因となる資産の権利者が被告人個人である必要があるので、会社の裏金(簿外資産)が個人資産に転化した法律的事実が必要であり、裏金分配合意がその事実であるという筋を表しているものであるが、「利殖契約ともいうべき消費寄託」であるという検察官の主張は、前示のとおり、被告人と利夫及び節子の三名の個人資産とする裏金分配合意が、余りにも概括的で、具体性に欠けていて、その存在自体疑わしい程で、しかも、これには他に明示的な取り決めが伴っていないのに、三分割の裏金分配合意を前提にし、右の合意と同時に右三名の個人資産が更に被告人個人の資産になったことを解釈で補おうとした無理がある。

また、検察官は、原審の論告において、節子は、裏金の取得分については、被告人の運用に任せ、株式取引等の利益については被告人に享受させる意思であったと主張しているところ、節子の検察官に対する供述調書には、宗教上の理由から長男利夫に代わって被告人が末金家を承継した場合には、節子の裏金の取得分を被告人に贈与することも考えており、裏金の取得分による株式取引等の利益で、債券もので運用した場合以上の分は被告人に享受させる意思であったという供述記載があるが、節子の原審証言にはその趣旨の供述はなく、当審証言ではこれに反する供述をしている。

そこで、節子の原審及び当審証言、利夫の原審証言、被告人の原審及び当審公判供述によると、利夫及び節子が割引債、株式及び預金の形で存在する裏金を運用して利殖をはかる目的で被告人に預けたというのは、その取得分の割合が有する持分権を保持したまま、これをもって有価証券投資等を行うことを被告人に委託したものというのが相当であり、実質的には被告人を含めた三名はそれぞれその取得分の割合の出資をして有価証券投資等をしたものと解される。この点は、大蔵事務官作成の有価証券売買益調査書においても、被告人が自己資金と節子及び利夫が出資した資金により有価証券売買を行っていたと表現されているのである。

したがって、所得税法上、右の裏金の運用によって得た収益は、裏金の分配が実行されるまでは、原則としてその裏金の持分権者である利夫、被告人及び節子の三名に各持分の割合で帰属するものといわなければならない(所得税基本通達一二-一参照)。

3  利夫に対する裏金取得分の分配実行の有無について

検察官は、原審の冒頭陳述及び論告において、被告人は、昭和五五年九月、裏金の中から約九八九〇万円を支出して利夫名義の額面一億〇四〇〇万円の割引債を購入し、その管理を利夫に任せて、利夫に対する裏金の取得分の分配を実施したと主張している。

なるほど、被告人の検察官に対する各供述調書(平成三年三月一二日付け・原検番号45、同月一三日付け、同月一四日付け、同月一六日付け・原検番号49、同月一七日付け)には、被告人が、昭和五五年九月、利夫名義の額面一億〇四〇〇万円の割引債を購入し、利夫の裏金取得分の分配を実行し、利夫との精算は終了した旨の供述記載がある。そして、その他の証拠によると、被告人が、裏金分配合意当時から管理していた利夫名義及び被告人名義の割引債(割引電電債)合計額面一億二〇〇〇万円を同月二四日日興証券岡山支店に持ち込んで売却し、同月二六日野村証券大阪支店で利夫名義の額面一億〇四〇〇万円の割引債(ワリショー)、節子名義の額面二〇〇〇万円の割引債(ワリノー外)を購入していることが認められる。

しかし、被告人の右各検察官調書には、その時期に、どういう理由から利夫の裏金の取得分のみの分配を実行したのかその経緯ないし理由の供述記載がなく、右裏金分配実行の供述は唐突であるというほかない。そして、被告人の質問てん末書によってこの点に関する被告人の供述経過をみると、被告人は、査察調査を受けた翌日の昭和六三年九月三〇日付けの質問てん末書において、昭和五七年四月八日利夫に依頼して、同人所有の割引国債を売却した四二九七万四三〇四円のうち、四二九七万円を同人から借り受け、山一証券岡山支店の楠戸鉄造名義の口座に入金し、信用取引により買い受けていた日本特殊陶業株の現引にあて、残金は被告人名義の岡三証券静岡支店の口座に入金していると供述し、昭和六三年一〇月六日付け質問てん末書では、昭和五五年九月二六日利夫名義と節子名義で割引債を買い、利夫と節子の取り分(相続分)を分配したと供述し、昭和六三年一一月二五日付け質問てん末書では、裏金の分配は完了しておらず、利夫に取り分の一部として割引国債を渡しているが、これはやかましく分配を迫られたからで、確定的に分配したものではなく、また、節子には全く分配していないと供述し、平成元年一月二〇日付け質問てん末書では、裏金の分配は行っていないと供述し、同年二月一七日付け質問てん末書では、昭和六二年ころ、兄からやかましく精算してくれと言われたので、その取り分の一部として割引国債とモリ工業の株式六万五〇〇〇株の預り証を渡したが、これは単に預けているのであると供述していたのである。

この点について、利夫の検察官に対する供述調書には、前示の被告人が利夫名義で購入した額面一億〇四〇〇万円の割引債が「私の取分であり、それ以外に私の取り分がないと仮に弟が言うのであれば私としては認めることになります。」との供述記載があるが、これは利夫が右割引債の購入やその理由を全く知らなかったことを前提とする供述である。かえって、利夫は、右の同じ供述調書において、昭和六〇年ころ、被告人に裏金の取得分の分配を要求し、野村証券大阪支店で利夫名義で購入されていた国債の預り証とモリ工業株の預り証を受け取ったと供述し、原審証言においては、昭和六〇年ころ、被告人に分配を申し入れ、その一年位後国債とモリ工業株の預り証合計約一億二〇〇〇万円位のものの分配を受け、なお二億円位を貰えると思っていたと供述し、節子も原審証言において、昭和六一年ころ、被告人に対し、利夫の分だけは早く分けてやるように言ったと供述している。

被告人の検察官に対する平成三年三月一四日付け供述調書及びその他の証拠によると、被告人が利夫名義の野村証券大阪支店の口座でモリ工業株を購入したのは昭和五九年一〇月三一日及び同年一一月一日であるので、被告人がその預り証を利夫に交付したのは同月以降であることは明らかである。右検察官調書に添付の利夫名義の預り証移しをみると、昭和五九年一一月六日付けのモリ工業株の預り証が利夫の署名になっていることも右の事実に符合するものと認められる。

そして、関係証拠によると、右の額面一億〇四〇〇万円の割引債は昭和五六年五月二七日までには全部売却されて、同日利夫名義で額面二二〇〇万円と九〇〇〇万円の割引国債が購入され、前者の系列は、その後昭和六二年まで国債の売買が四回繰り返され、最後の額面は三四〇〇万円になり、後者の系列は、そのうち、額面四四〇〇万円が昭和五七年四月七日売却され、その代金四二九七万四三〇四円が利夫名義の中国銀行本店の普通預金口座に入金された後、内金四二九七万円が同口座から出金され、裏金関係の取引口座である岡三証券静岡支店の被告人名義の口座及び山一証券岡山支店の楠戸鉄造名義の口座、被告人の個人資金取引口座である岡三証券岡山支店の被告人名義の口座に分割して入金されて、株式取引に使用され、額面四六〇〇万円分については、昭和六〇年まで二回国債の売買が繰り返され、最後の額面は五一二〇万円になっており、これらの国債の売買及び預金の出し入れについては、利夫は知らず、いずれも被告人が独断で行ったものであり、利夫の検察官に対する供述調書には、右の同人名義の普通預金口座から出金された四二九七万円について、「辰一が私から貸して貰ったものだというのであれば、すべて辰一に任せていたのですからそのとおりでいいと思います。」との供述記載があり、右四二九七万円の処理を本件の捜査段階になって初めて知り、事後承認するに至ったものであることが窺われる。

被告人は、当審公判において、昭和六一年ころ、利夫から分割を求められ、国債など一億二〇〇〇万円相当のものの預り証と中国銀行の普通預金口座の通帳を利夫に渡したと供述している。

そこで、以上のところからすると、被告人が利夫に対し裏金の取得分の分配として交付したのは割引国債とモリ工業株であり、その時期は昭和六一年ころであって、しかも利夫の取得分の一部として分配されたものであるといわなければならない。

検察官は、原審の冒頭陳述及び論告において、被告人が、昭和五五年九月、利夫名義の額面一億〇四〇〇万円の割引債を購入して利夫に対する裏金の取得分の分配を実施したことを前提にして、被告人は昭和五七年四月、利夫から同人名義の普通預金口座から出金された四二九七万円を借り受けたというのであり、被告人が前示の普通預金口座の通帳と利夫の実印を利夫に管理させたのは借用書の代わりであると主張するのであるが、被告人の検察官に対する平成三年三月一四日付け供述調書には、昭和五七年四月、利夫の割引国債の売却代金から借り受ける際、借用書の代わりとして利夫名義の普通預金口座を作り、その通帳を利夫に渡したと供述している。しかし、被告人は、原審に提出した陳述書及び当審公判において、昭和五七年四月ころから昭和五九年の初めころまで兄の実印を保管していて、右通帳を利夫に渡したのは、国債等の預り証と同時で、昭和六一、六二年ころであると供述している。そこで、検察官主張の四二九七万円の貸借については、借用書がないばかりでなく、利夫の事前の了承を得てもおらず、貸与の条件が取り決められた証拠もないので、右金員は利夫から借りたものではないという被告人の当審公判における供述は直ちに排斥することはできず、やはり、これは被告人が独断で裏金の運用と同じように株式取引に当てたものと認めるのが相当である。

4  以上のとおり、裏金の運用によって得た収益は、裏金の分配が実行されるまでは、原則としてその裏金の持分権者である利夫、被告人及び節子の三名に各持分の割合で帰属するものといわなければならず、利夫に対する裏金取得分の分配は昭和六一年前後ころ、その取得分の一部について実行されたに過ぎないので、本件有価証券売買益がすべて被告人の所得であるということはいえない。

そして、数人が共同で出資した資産によって生じた収益は、原則としてその出資の割合ないし持分に応じて数人の者に帰属するものと解すべきであるが、出資の割合ないし持分が明確に区分できない場合、数人の権利者において協議して収益の帰属を定めることができることは私的自治の原則から明らかである。当審における事実取調べの結果によると、被告人と利夫及び節子の三名は、平成元年八月一三日付けで前示の裏金分配合意を基礎とし、裏金の運用による資産を出資割合に応じて精算する旨の合意をし、同年一二月二五日付けで右の分配を完了した旨の分配確認書を作成していることが認められるので、本件有価証券売買に関連する収益も右の合意による分配割合にしたがって三名に帰属したものというほかない。

すなわち、原判決は、判示第一において、昭和六一年の実際総所得金額は四億四七五七万八二三八円、判示第二において、昭和六二年の実際総所得金額は三億四六九三万三〇一四円であると認定したが、右の各総所得金額のうち、雑所得及び配当所得は被告人と利夫及び節子の資産に基因して生じた収益であると認められ、被告人の収益はその一部であり、原判決はこの点で事実を誤認したものであり、右の誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

論旨は理由がある。

5  なお、弁護人は、本件当時有価証券の売買回数が年間五〇回以上、かつ、二〇万株以上の場合に課税されるところ、被告人は、三名の出資により株式取引をしていたため、一五〇回未満ならば課税されないと思っていたので、被告人には所得税ほ脱の犯意はなかったから、無罪であると主張するとろ、右弁護人の主張は、被告人が自己の行為が課税要件に該当するかどうかを誤ったというのであるが、原審記録によると、被告人は、有価証券の売買回数が年間五〇回以上、かつ、二〇万株以上の場合に課税されるという課税要件を遅くとも昭和五七年ころには知っており、有価証券売買による所得について納税の申告をする意思がなかったことも明らかであるので、所得税ほ脱の故意に欠けるところはない。

二  以上のとおりであるので、原判決は破棄を免れないところ、前示の被告人らが行った裏金の運用による資産の最終的分配によっても、原判示第一及び第二に関する各訴因の一部について、被告人が虚偽の所得税確定申告書を提出し、正規の所得税額と申告税額との差額を免れた事実があることは否定できないが、総所得金額、これに対する正規の所得税額及びほ脱税額を訴因に明示すべきであるので、この点は原裁判所において更に審理するのが相当である。

よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条本文により本件を岡山地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 福嶋登 裁判官 内藤紘二 裁判官 山下寛)

平成三年(う)第一三六号

控訴趣意書

所得税法違反 末金辰一

右被告人に対する頭書被告事件について、被告人から申し立てた控訴の趣意は左記のとおりである。

平成四年一月九日

主任弁護人 院去嘉晴

弁護人 藤本徹

広島高等裁判所 岡山支部 御中

原判決は、公訴事実のとおりの事実を認定したうえ、被告人を懲役一年六月及び罰金一億二、〇〇〇万円に処する旨の判決を言渡したが、原判決には事実の誤認があって、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかで破棄を免れないばかりか、仮に原審認定の事実が認められるとしても、刑の量定においても量刑著しく重きに失し不当であるから、これを破棄し、更に適正な裁判を求めるため控訴に及んだものである。

以下その理由を述べる。

第一点、事実誤認について

一、本件公訴事実については、原審取調べの証拠では所得の帰属についての証明が不十分であり、無罪とすべきである。原判決は、被告人、弁護人が公訴事実を認め、争わなかったことに安心して証拠の検討を怠っており、著しい事実誤認をしている。

本件については、原審における主任弁護人は院去嘉晴であるが、捜査および公判の方針につき中心的役割を果していたのは弁護人岡野新であって、捜査段階及び原審において岡野弁護人が被告人に対し、検察官との取引通りに認めれば執行猶予になる旨誤導したため、被告人が事実を認めた形式で捜査、公判が進行している。しかしながら、公判における記録を精査すると、取調べられた証人はいずれも事実関係を争うべき証拠になっているし、検察官や弁護人の公判における態度を見ても、被告人が真実を記載した陳述書を提出しようとすると、検察官が不同意の意見を述べ、これに弁護人も何ら抵抗できずに応じて、被告人に有利な記載部分を削除する等の被告人の防御権行使を妨げる行為がなされている。

当審におかれては、原審において事実関係を争うべきで、かつ、機会があったのに争わなかったことにつき理解をしがたい面があるかと考えるが、後述の経緯から明らかなとおり、被告人は実刑に処せられることを恐れていたし、これに対して、一部弁護人が、被告人一人に本件所得が帰属すること等を認めれば執行猶予が付される趣旨の説得をすれば、法律に疎い被告人としてはその助言に従って虚偽の自供をし、公判においてもそのまま維持することは十分に理解できることであり、このことを非難して控訴審において被告人に弁解、立証の機会を与えないというのは不当である。

日本国憲法第三八条第三項、刑事訴訟法第三一九条第二項、第三項の精神からみても、被告人が法廷で認めているからといって安易に有罪とすべきではない。原審裁判官は、本件が脱税事件という一旦争いとなれば複雑な事案になることを避けるため、真実の追求を怠っている。

以上のような経過を踏まえて本件控訴の趣意を理解頂きたいので、以下具体的な事実関係を主張する。

二、原審で取調べた証拠によれば、大略以下の事実が認められる。

1、被告人の父壽満は、その経営にかかる会社の簿外資産を多額に残して死亡し、その額は被告人の記憶では約一億五〇〇〇万円に達していた(国税当局の調査結果では一億七三三一万円)。母節子(以下母という)、兄利夫(以下兄という)、被告人はこれを昭和五三年八月ころ分割する協議をし、その結果、兄が八〇〇〇万円、被告人が四〇〇〇万円、母が残り全部を取得するという協議が成立した(検46の被告人の平成三年三月一二日付検察官に対する供述調書二項等)。しかし、現金で分割するなどの分割の実行はせず、この全額を被告人が預って運用することとなった(同調書四項等)。

その後、被告人が株式や債券を購入することにより多額の収益を得たが、そのまま管理をしていた。

2、その過程で被告人は母のもとに月一回上阪する都度、購入した株式の銘柄、その売買による収益の状況などを概括的に報告していたし、母も昭和五三年に追加の出資として二回にわたり合計金一〇五〇万円を被告人に送金したり(検22の二三項等)、東芝鋼管などの株式をそのまま被告人に渡したりしていた(同三一項)。加うるに被告人が居宅を建てる際、亡夫壽満とともに銀行借入れの担保として被告人に貸し与えていた合計金一〇〇〇万円を、被告人がこの共同出資金の中に入れることも容認していた(弁25の陳述処七項。亡壽満分については検49の九項で触れているが、事実と相違しているので、当審で立証する)。

また兄に対しても、被告人と机を並べて毎日仕事をしていたので、母に対すると同様のことを話していた(原審における兄の平成三年六月四日の証言の速記録六頁以下等)。

これらの被告人の報告によって、母も兄も自己に分配されるべき収益がふくらんでいることを楽しみにし、また出資額に応じて分配されればいくら位になるということを期待し、また被告人に尋ねてもいた(原審における兄の右証言速記録一一頁以下)。

3、更に兄は被告人の説明などによって野村証券保管の国債の預かり証に署名押印したり、被告人に実印を預けたりして(検24の兄の検察官調書七、八項等)、共同出資の資産の共同管理をなしてきていた。

また、兄は昭和六〇年ごろ、自己の娘が結婚適齢期になったことから、被告人に対し、そろそろ分配をして欲しいと持ちかけ、昭和六一年ごろ被告人から取敢えず、分配し易い債券約七〇五〇万円とモリ工業の株式六万五〇〇〇株(一株の時価約八〇〇円)等の証券会社の預かり証の交付を受けるとともに、あと約二億円の分配がある旨の言質を被告人から得ている(兄の平成三年六月四日の原審公判での証言)。

そしてこのことについては、母も被告人から相談を受け、「私の方は後でよいから、兄の方を先に分配してやるように」との承諾を与えている(母の原審公判での証言速記録二五頁)。

4、かくして、被告人は(1) 母、兄、被告人が分割の金額を定めた亡壽満の裏金一億七三三一万円、(2) 亡壽満、母が被告人の居宅建築に際して貸し付けた銀行借入れのための担保で、後に被告人が本件株式などの取引の原資とした合計金一〇〇〇万円、(3) 母が追加出資した金一〇五〇万円と東芝鋼管三〇〇〇株、日本石油株三〇〇〇株などの株式、(4) 被告人が追加出資した金員などによって、昭和六一年ごろ右3、のとおり兄に一部分割するまで、株式、割引国債の売買をなし、その後も同様の売買をなして、いずれは三人に、それぞれの出資の割合で分割するつもりでいたものである。

三、以上のような真実が、次のような経過でしだいに歪められて行った(以下の事実のうち、一部立証ずみのものの他は、当審で立証する)。

1、被告人は昭和六三年五、六月ごろ倉敷税務署から株式の取引についての照会を受けたので、同年八月ごろ、高校時代の同級生で公認会計士兼税理士の山之内章晃に相談し、事案の内容を説明したところ、株式取引等の所得について同人は、もともとの出資者である母、兄、被告人の三人が出資の割合に応じて税務申告をすべきであるとの回答をなした。

ところが、被告人は同年九月末に広島国税局による税務査察を受けるに至ったので、心配になって同年一〇月、同じく高校時代の同級生であった弁護士山上東一郎に相談したが、同人は多忙ということであったので、同年一一月に一審の弁護人岡野新に相談をした。

岡野弁護士は右山之内の紹介によるもので、同弁護士の言では東京地方検察庁特捜部に勤務したことのある元検事で、税務事件に詳しいとのことであったので、被告人は同人に信頼を寄せること大なるものがあった。そこで以来、主として同人の指導を受けながら、本件査察に対処して来た。

一方、被告人は同年一〇月ごろ、京都市内の公認会計士兼税理士の藤田博に相談したところ、同人も三分割説が正しいと言うので、被告人は意を強くしていた。被告人は更に、同年一一月ごろ、広島国税局の査察部に長くいた柴田元隆税理士にも相談したが、同人も原審法廷で証言しているとおり、三分割説によるのが至当であるとの説明をし、被告人はこれら税務実務家の言を大いに信頼していた。

2、被告人は平成二年三月二三日、広島国税局から岡山地方検察庁に対し、本件について告発されたが、同年四月に岡野弁護人が本件の主任検事であった大木丈史検事に会ってくれた後、被告人に対し、「検察庁は、三分割説は税務当局の面子もあるので、採用できないそうだ。被告人と母との二分割説なら考慮の余地があるようで、おってその場合の脱税額を計算して通知するとのことだ。」と知らせた。

3、被告人は三分割説ならともかく二分割説というのは理解できないので、同年五月、兄が知人を介して知った弁護士院去嘉晴の紹介を得、これに相談して取り敢えず、弁護人として選任し、同弁護人が大木検事に会ったが、事件については捜査中であるという程度の回答であって、国税局の告発に対する処分がいつごろになるか、また、その内容がどのようなものになるかは分らなかった。

ところが、その後、岡野弁護人が二分割の話はだめになったと言い出した。また検察庁の被告人や兄、母等に対する取調べも同年五月以降されず、被告人としては、三分割説によって修正申告をしようにも資料は皆、税務当局に押収されているのでどうしようもなく、いたずらに焦燥の日々を過ごすのみであった。

4、そして平成三年二月に、母、兄、被告人の順で検察官の調べが始まり、同年三月一日に至って、被告人方、有限会社矢島電機商会など六ヶ所が一斉に捜査を受けるとともに、被告人は逮捕された。

被告人は逮捕された後、山之内、藤田両公認会計士、柴田税理士らの言を信じていたので、三分割説を主張してきたが、同月一一日に山上弁護士が接見に来て、三分割説を主張しても裁判が長くかかるうえ、容易に保釈を認められず、結局裁判所が同説を認めない時は、実刑になる恐れがあるというので、被告人は一挙に動揺し、結局検察官のいう被告人単独課税説に従うこととしたものである(後に被告人が調査したところでは、この説得は岡野弁護人から山上弁護士に依頼された結果のようであった)。

5、ただ、翌一二日に接見に来た岡野弁護人が、「山上君から連絡があって三分割説を止めると聞いたので、急いで来た。脱税額が五億円を切れば執行猶予が取れるので、協力して欲しい。お母さんの一〇五〇万円の投入資金を分別管理があったとして、それに見合う所得分を脱税額から減額してもらうので、その代りに昭和五七年の兄名義の四二九七万円を兄から借りたことにして欲しい。そうすれば、私が助かるのだが・・・。ただ検察官がその線で了解してくれるかどうかお願いしてみるので、了解が得られれば、右のとおり調書を取ってもらいなさい。」と言ったので、被告人は「言われた通りにする。」旨答えた。

6、そこで、岡野弁護人とこれに同調して検察官のもとに同行した木津恒良弁護人は、同年一二日ごろ検察官との間で、三分割説を放棄する代りに、母の一〇五〇万円に見合う所得分を控除してもらう、その代りに右四二九七万円を兄から借用したものであることを認め、これについての利息分を経費として控除してもらう、こうして脱税額を四億円台に落してもらうという取引をした。

そこで被告人もこれに従って、後記六の1のように、「とことん頭を下げた」供述調書を作成してもらったというのが真相であって、このようなでっち上げの事実のもとで被告人が有罪とされたのではたまったものではない。現に検察官は論告の中で、「右一〇五〇万円から生じた売買益は節子に帰属することを認める余地があるに過ぎない」と言いながら、逆に、「被告人に帰属するという処理も可能である」と言って暗に取引があったことを認めるような記載をしている。

ちなみに、被告人を取調べた水沼検事は勾留中、被告人に対し、「所得を減額して脱税額を下げて執行猶予を取るという岡野弁護人の考えが一番正しい。他の弁護人や税理士は責任を取るわけではないので、無責任なことを言うのだ。」と言って、岡野弁護人を褒めていた。

右のような取引があったため、母、兄に対する取調べはこの取引に従ってなされており、従ってその供述調書の内容は後記四の234のとおり措信できない所が多々ある。

7、右のでっち上げの過程で、院去弁護人は何ら関与していない。もともと同弁護人は前述のとおり、兄の関係からの紹介であり、三人の弁護人のうち最後に選任されたうえ、遠方ということもあって、被告人としては重きを置いていなかった。従って、被告人は本件で保釈になるまで院去弁護人を加えた打合せの会合を持つこともせず、起訴後に至って岡野弁護人と協議をし、院去弁護人も引き続き弁護人として加えることとしたもので、それ故に原審での第一回の保釈請求は岡野、木津良弁護人だけでなされている。その後院去弁護人を原審の主任としたものの、同人が最も年長であるからという理由であった。

8、このようにして被告人は勾留中に、起訴されても執行猶予の判決が得られると期待し、また後記四の1の検察官の不当な調べに従って真実でない自白をしたが、公訴事実を争わないと言って保釈を得た後にこれを覆すと、検察官、原審裁判所の心証を悪くし、折角期待した執行猶予の判決が得られなくなることを恐れて、やむを得ず公訴事実を認める旨答え、書証も全部同意したものである。ただ、被告人の供述調書については、保釈請求の理由の中にも、取調べに異議はないと書いただけであったので、同意のうえ一部信用性を争うと主張した。

しかし、被告人はその後の審理の過程で、岡野弁護人の発案により、真実の要点を述べようとして陳述書(弁25)を作成したが、事前にこれを閲覧した検察官から主任弁護人に対し、自白と矛盾する部分は不同意であり、このまま提出される場合は厳しい論告をせざるを得ないと言われたので、やむを得ず不同意部分を省いて提出し、不同意部分については何らの尋問も供述もできなかった。従って弁論も情状のみという始末となった。

以上のしだいで、本件捜査のうち、母、兄、被告人等の供述調書の重要部分の作成は、検察官と岡野、木津両弁護人との取引のうえでなされており、原審の審理もこの延長線上にあるのであるから、真実が歪められていることは明らかである。

四1、前記二のような本件の内容から見ると、本件所得は母、兄、被告人の三人に分割されるべきであり、分割すべき数額は出資率に応じて、兄三六%、被告人三三%、母三一%となる(弁4の平成元年二月一七日付報告書及び弁5の平成二年一月三一日付報告書)。

2、ところが、検察官は被告人が分別管理をしていなかったと主張して、被告人一人の所得として起訴している。そしてあたかもこれが正当であるように装うため、被告人をして兄からの預り分は、昭和五五年に分割済である旨の無理な供述をさせている(被告人の検44の検察官に対する平成三年三月一二日付供述調書四項、検47の同年三月一四日付調書一項ないし三項等)。

しかしこれは、検察官が検察官作成の筋書き通りに認めることを覚悟していた被告人の弱みにつけ込んで作成した作文にすぎない。検察官は被告人に、兄に額面一億〇四〇〇万円の割引債券を返還したと供述をさせているが、被告人がその後も兄の実印を保管し、母と兄の承諾をとれば、いつでも運用できる態勢にあったこと、昭和五七年には被告人が右割引債券の一部を売却して、金四二九七万円を信用取引の現引きの資金に使用していること(検47の被告人の平成三年三月一四日付検察官に対する供述調書四項、五項)、右割引債券の売却については母、兄の了解を得ていること(弁25の陳述書一四頁)、その後も被告人が現実に債券の管理をしていること、兄は返還を受けたとは明言していないこと等から、右の返還の事実は認められない。

次に検察官は、右金四二九七万円について被告人が兄から借りたものである旨主張するが、借用書もなく、利息の定めもなく、金額も端数までついていること等、不合理な主張であることは明らかである。何でも検察官の言いなりになっていた被告人の供述調書があるというにすぎない。

検察官は被告人をして起訴にかかるほ脱額が金五億円を切れば、刑の執行猶予が得られると思い込ませたうえ、国税当局の告発にかかるほ脱額が合計約五億二〇〇〇万円であったから、この額を減額する手段に右金四二九七万円の利息を利用している。即ち、利息の定めもないのに、前記三の6の岡野弁護人との取引により、勝手に九・一%の利息を認めてやる(検49の被告人の平成三年三月一六日付検察官に対する供述調書一〇項等)と言って、借入金利息の名目で所得を減額している。

検察官は更に、右約五億二〇〇〇万円を切らすため、何ら合理的な理由もないのに、前記三の6の岡野弁護人との取引により、母の出資分のうち、合計一〇五〇万円について分別管理を理由に、母の独自所得としている。こんな目的のためには手段を選ばない捜査は絶対に許してはならない。

検察官は被告人に対し、金二八六〇万円余りのほ脱額の減額を与えることにより、判決に際しては、刑の執行猶予が付されると思い込ませ、自由勝手に供述調書を作成しているのである。

3、かくして、検察官の論告にある兄からの借入金四二九七万円、母からの利殖契約による消費寄託分、及び母からの投資一任業務契約による受任分一〇五〇万円というのは、いずれもこじつけの主張であり、理由がないものである。母、兄は、本件有価証券の売買による利益に対する分配請求権を一度も放棄してはいない。

以上のとおり本件所得は当初から、母、兄、被告人の三人の出資に基づく資金運用の利益であり、このような利益は出資の割合において分割し、各人の所得とするのが正当である。このことは証人柴田元隆、同山之内章晃の各証言からも明らかである。岡野弁護人らの前記三の6の工作はまことに遺憾であり、これに応じた検察官は公正な法の執行者とはいい得ない。

4、更に検察官は前記二の4の三人の投下資金のうち、亡壽満と母の提供した担保金合計一〇〇〇万円(検22の母の検察官調書三三項)、母が現物として出資した前記二の4に記載した以外の株式について、母がその他にもあったと述べていたのに(同調書三二項)、これらについての明細、使途等を十分追乃せず、曖昧なままにしている。

また、検察官は、母、兄、被告人に対し、母、兄が被告人に貸付けたとして供述させた金員については、九・一%の利息を付して計算してあげると言って恩を着せているが、これはいずれも単利計算である(冒頭陳述書添付の、「ほ脱所得の内訳明細」番号2参照)。

銀行の定期預金の最長期間は三年であり、それで満期になって更に利息とともに再度定期預金にすれば、その時点で複利計算になる。郵便局の低額貯金の場合は六ヶ月毎に複利計算されている。九・一%の利息は検察官が勝手に算出した数字であって、被告人と母、兄との間にはその約定はない。そもそも本件は三人の共同出資による運営がなされていたのであるから、利息の約定がある筈がなく、このような擬制的な処理は刑事訴訟においては認められるべきではない。

五、実質課税の原則から見ても、原判決は誤っている。

1、所得税法は、税法の解釈、適用における公平負担の原則から導かれる基本原理として、実質課税の原則をとっている。この実質課税の原則は、所得の帰属の判定の場合に限らず、広く同法の解釈、適用あるいは事実の認定に際しても適用され、行為の形式よりはその経済的実質に即し、また、課税の原因となった行為の適法違法を問わず、実現した経済的成果について税法的評価を行うべきものとされている。

そこで昭和三九年五月二八日の東京地裁の判決は、「或る所得がいずれの類型に該当するかを判断するに当っては、純法律的形式的観点よりも、むしろ、経済的実質的観点が重視されるべきものであり、従って経済的実質が類似するとの認識を根拠として類推解釈を行うことが許されないと解すべき根本的な理由はないものといわねばならない」としている(税務訴訟資料四一号四二六頁)。

2、そして所得税法は、いわゆる実質課税の原則のうち、所得の帰属に関する部分について、実質所得者課税の規定を置いている(第一二条)。

そこで、昭和三三年七月二九日の最高裁判決は、「所得が何人の所得に帰するかは、何人が主としてそのために勤労したかの問題ではなく、何人の収支計算の下において行われたかの問題である」としている(税務訴訟資料二六号七五九頁)。

また、昭和四〇年四月三〇日の東京地裁の判決は、「所得税は、本来国民各人が、その経済的能力に応じてこれを負担すべき性質のもので、経済的成果の実質的な享受者が納税義務を負うことが租税負担の公平の原則にも添うところよりすれば、法律に特別の規定の存しない限り、所得税法は経済的実質に従いその収益の享受者が所得税を負担すべきことを予定しているものと解される」としている(税務訴訟資料四二六頁)。

3、右の最高裁判決の、所得が「何人の収支計算の下に」生じたかの観点を本件について細分すると、(1) 資金源、(2) 取引への関与の態様、程度、(3) 収益の留保形態、(4) 資金提供者の意識、の四点になると思われる。

(1)については、前記二のとおりであって、主としては亡壽満の遺産を分割したものであり、一部解明されていないものもあるが、概ね、母、兄、被告人の三名に帰属する。(2)についても、前記二のとおりであり、全く関与していない者はいない。(3)は前記二の3のとおり一部兄に分配されたものを除き、全て再投資されている。(4)については、母、兄、被告人とも、得られた収益は三人の出資の比率に応じていずれ配分されるべきものと考えていたのであり、検察官の言うように九・一%の利息、それも単利の計算によって配分されると期待していた者はいない。被告人としても、母、兄に資金提供をさせて、これに九・一%の利息のみを支払い、残りの利益は全部独り占めするというような悪どい考えは、少しも持っていなかった。

検察官作成の供述調書によって、兄や母の本件売買による利益に対する分配請求権を奪うことはできない。もし被告人の売買により損が出たら、他の二人も損の負担をすべきであり、利益が出れば、これを分配する関係にあったのである。本件に似たものに信託があるが、信託の場合も受益者が所得の帰属者であり、受託者ではない(所得税法第一三条)。

かくして、実質課税の原則から見ると、本件は正しく三人の分割で所得計算をすべき場合であり、法的に見ると、結局本件契約は、親子、兄弟間の約定で、以上に詳述したような内容であるから、委任ないし信託に類似の無名契約と解すべきと考える。

4、そして、株式の売買回数についても三名分が認められるべきであるから、昭和六一年、六二年分とも五〇回以内の制限を充していることになる。現に昭和六一年から六二年にかけては、東京証券取引所のダウ式平均株価が一万三〇〇〇円から二万六〇〇〇円に急騰した時であるのに、売買回数がいずれも一五〇回以内となっているのは、被告人が三名で一五〇回以内と認識していたことを示している。

六、被告人の自白調書、兄、母の各供述調書等には信用性が全くない。

1、被告人の供述調書について

本件は、所得の帰属が問題であるところ、被告人の検察官に対する供述調書等により、事実関係が狂わされている。先ず、本件を理解するにつき、捜査の経過を見ると、広島国税局は、昭和六三年九月二九日強制調査に乗り出しているが、告発したのは平成二年三月二三日で、告発までに一年六ヶ月を要している。本件の最大の争点は、三人に分割して課税するか、被告人のみに課税するかの問題であったから、この点に関する調査に長時間を要したものと考えられる。

告発を受けた検察官は、本件受理後間もなく一旦、捜査に着手したようであるが、結局、任意捜査で処理できず、約一年後の平成三年三月一日に至り被告人を逮捕し、翌二日、勾留、接見禁止の決定を得た。被告人は勾留されても三人分割説等を主張していたが、検察官と岡野弁護人らとは、前記三の6のとおりいわゆる取引をし、その結果、被告人は三月一二日から自白調書を作成されている。そこで被告人の同日の調書によれば、「三分割となれば、自分のほ脱額が二億円弱になり執行猶予がもらえると思っていたので否認した」旨の記載がある(検43の同調書一項)。そして検察官も被告人に対し、独断的根拠により自白を求めていた状況の記載もある(同調書二項)。

同調書の一項には、岡野弁護人が税金に詳しい旨の記載があるが、何を根拠に税金に詳しいのか判らない。被告人も岡野弁護人の自己紹介以上には情報を知らない。いずれにしても、この自供の始まりは不自然であり、検察官と岡野弁護人らとの間において、前記三の6のとおり取引があったことに基づくものである。そして自供調書の作成になると、検察官が「とことん頭を下げないと執行猶予がむつかしい」と言ったためもあって、文面上でも行き過ぎと思われる程、記載内容が厳しくなっている。しかし被告人は、「頭を下げる以上はとことん検事さんの理論に任せるしかない」という心境に至っていたので、そのまま署名指印をしている(被告人の原審における供述)。

以上の経過および本件の記録によれば、被告人の自白は、保釈を得ることと刑の執行猶予を得る目的のために、事実に反する供述をしたことは明らかであり、被告人の供述調書の信用性はないと言わなければならない。弁護人は、被告人が公判において供述する機会も少なくし、その代りに陳述書(弁25)を出させているが、被告人の供述であるのに、前記三の8のとおり検察官は一部不同意とし、検察官に対する被告人の供述調書に検察官自身も自信がないことを窺わせている(被告人の原審における供述参照)。

そして、検察官が原審において被告人の質問てん末書を提出しなかったのも理解できない。弁護人としては当審で、これの提出を求めたうえ、被告人につき、十分な被告人質問をさせて頂きたいと考えている。

2、兄の供述、証言について

兄は検察官から厳しい取調べをされたので、このことを相談した大阪の山上弁護士から、その根拠もないのに、兄自身も逮捕されることもあると聞かされていたこと、更に取調べの検察官から取調中に、肩をつかまれたり、会社の社員を一人一人呼んで会社をつぶしてやるなどと言われたり、はなはだしきは、逮捕してやると言われて目の前で、逮捕状請求書のようなものを書かれたりして畏怖し、被告人が認めているのであれば、兄としても認める、というような供述調書を取られたものである(兄の平成三年七月一六日の証言速記録四一頁六〇頁以下。その余は控訴審において立証する)。

例えば、「昭和五五年九月に辰一が私の名前で一億〇四〇〇万円の債券を買ってそれを私に対する取分の分割実施というのであれば、私としてはそれを認めます」との調書を取られ、それに続いて更に利息の約定もないのに、「この額面であれば年利約九%にな・・・るから・・・文句はありません。」と記載されているが(検25の兄の検察官調書一項)、兄はこの一億〇四〇〇万円がそもそも自己に分割されたという認識はないうえ、どうして年約九%になるのかも分らないまま署名指印しているのであって、信用性のない調書であることは明らかである。

ただ、原審において、兄がこれらのことを証言すれば、裁判所から被告人の否認につながるものと解釈されて被告人が不利になるのではないかと心配して、兄に対する主尋問ではこれらについての証言はされていないが、反対尋問、更には裁判官の尋問の中で、いわゆる本音が出るに及んで、再主尋問によって調書に不満な個所等を指摘した。しかしまだまだ述べるべき事項が多々あるので、当審においても是非証言をさせて頂きたい。

3、母の供述、証言について

母は大阪に居住し、岡野弁護人の事務所に近かったことから、本件査察後、本件につき、同弁護人とよく相談していたが、被告人が逮捕された後、同弁護人から母に対し、昭和五三年に母が被告人宛に送金した金一〇五〇万円については、検察官と前記三の6のとおり話ができているので協力して欲しいと言うので、母としてはそれでよいのだろうかと思いながら検察官の調べをうけたところ、検察官から、「一〇五〇万円のうち五五〇万円については、株式購入代金ということで預けたのに株式を購入していないから、辰一は詐欺になる」と言われたので、母は被告人が所得税法違反のうえに詐欺罪にまでなっては大変と思い、検察官の言われるとおりの調書を作成してもらった。その結果、検察官は一〇五〇万円分については、分別管理があったとし、その他の分は被告人に一人の所得に帰属するという右の取引どおりの調書にしているもので、信用性はないというほかはない。

原審での証言の際にも、母は被告人が不利になっては、と右のような取調べ当時あるいはその前の状況などを証言していないので、当審においても更に尋問させて頂きたい。

七、以上のとおり、本件所得は被告人一人に帰属するとの証拠はない。また、原審記録では、三分割した後の被告人のみのほ脱額を証明する証拠も不十分である。「疑わしくは課税せず」との判例も存在する(東京地裁昭和三九年七月一八日判決、行集一五巻七号一三六三頁)。本件は原審記録では証明不十分というほかはなく、このままの証拠では無罪である。検察官は、犯罪の成立の証明に自信がないらしく、被告人が法廷で争っていないのに論告において事実関係の説明を詳しく行っている。弁護人、被告人が原審の審理、弁論において争えなかったのが残念でならない。

いずれにしても、本件については、原審には重大な事実誤認があり、この誤認は判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、これを破棄し、正当な裁判を求める。

第二点 量刑不当について

前記第一点記載のとおり原判決は破棄を免れないものと思料するが、仮に、事実誤認の主張が認められない場合でも、原判決が懲役刑につき実刑に処した点は、量刑重きに失し、不当である。

原審での弁論要旨のほか、以下付加して、その理由を述べる。

一、本件は事案の内容から見て実刑に処さなければならない程悪質な事案ではない。

本件は前記第一点記載のような経過で発生した事案で被告人が当初から脱税を計画していたものではない。父が簿外資産を作っていたために、何となく申告しにくい面があったことは、情状酌量の余地があるというべきである。ほ脱額は相当に大きいと言えるが、当時は申告が殆どされず、課税面でも甘かった株式の売買に関する事犯であるから、金額のみにより重罰に処する必要はないと考える。母や兄も事情は十分に知っていたのであるし、被告人のみ責めるのは酷であるといえる。

手口も単純無申告事犯に近いものであって、悪質とは言えない。楠戸の名義借りについても、他の事件の名義借りとは異なり、特に悪質という程のものではない。

二、被告人は事件については反省しており、再犯の恐れは全くない。

被告人は、所得の三人分割説を主張すると否とにかかわらず、自己の帰属分について申告せず、母や兄に申告を勧めなかったことにつき、責任を十分に感じて深く反省している。原判決も理解を示されたとおり、三人分割説は税理士も支持しているし、これを主張することと反省とは無関係というべきである。さもないと、法廷で一切弁解は許さず、主張をする者は反省がないということになり、刑事訴訟法の精神を無視した裁判が行われる恐れがある。

三、納税も済んでおり、特に酌量すべきである。

被告人は修正申告をして全部納税をしており、本税、重加算税等の多額の納税により、経済的には十分な制裁を受けている。

四、家族や母、兄も被告人のことを非常に心配しているし、被告人の事業におけるこれまでの働き、家庭環境等から考えても、今直ちに実刑に処する必要はないと考えられる。

五、原判決は、量刑の理由として、先ず、ほ脱額が大きいこと、ほ脱率が大きいことを挙げている。しかし、ほ脱額は最近の他の事例等と対比しても特に大きいという程多額ではないと考える。また、ほ脱率については、本件ではあまり悪質性はないというべきである。同じ収入源の一部をほ脱していたのではなく、申告は給与所得と家賃収入であり、本件分は単純無申告に近い状況で行われた事案である。事情が複雑で容易に申告が出来なかったため、結果的にはほ脱率が高いが、悪質性は薄いというべきである。

借名口座についても、原判決は巧妙な手口と言うが、本件の場合は巧妙とは言えないと思う。被告人は山一証券の社員田中に借名から本名に変えたいと申し出たこともあるが、そのままになっていたということもあるので(弁25の陳述書二三頁)、この借名はやむを得ずというか成行きで使用したと解すべきである。また、証拠隠滅の点についても原判決は犯情悪質と言うが、被告人としては、精神不安定時のとっさの出来事であり、追求を受けると自発的に提出しているのであるから、特に悪質と見るべきではない。

六、原判決の量刑は他の判決と対比しても余りに重きに失している。

1、まず原審と同じ岡山地方裁判所で平成二年一二月三日に言渡された被告人田辺重光に対する所得税法違反は、昭和六一、六二、六三年の三年間に三億七〇〇六万五八〇〇円をほ脱したもので、その手口は、証券会社六社において、本名、仮名、借名の一三口座で株式を、借名の四口座で公社債、証券投資信託を売買しながら、これらの売買益を申告せず、預金利息も多額に上りながら申告せず、配当収入も一部だけ申告したというものである。そして株式の売買回数は三年間で合計三四五六回、その売買株数の合計は二六〇四万株余りに達している。また納税状況を見ると、弁論終結までにこれについての所得税本税の全額は納めたものの、重加算税、延滞税は納めていなかった。

これに対して、被告人の場合は、ほ脱額が右田辺より一億二三一八万一九〇〇円多いだけで、売買株数は八四五万一〇〇〇株、売買回数に至ってはわずかに二年合計で二五〇回である。更に、このほ脱額に対する所得税本税、重加算税、延滞税、県市民税は全部納めている(弁26等)。

求刑を比較してみても、右田辺は懲役二年六月、罰金一億二〇〇〇万円、被告人は同じく懲役二年六月で罰金は一億六〇〇〇万円で、罰金の額のみ被告人の方が多い。ちなみに起訴検事はどちらも大木丈史検事である(弁27~30。右田辺分の起訴検事については当審で立証する)。

ところが、これに対する判決は右田辺に対しては、懲役二年六月、罰金一億円、懲役刑につき三年間執行猶予であるのに、被告人に対しては懲役一年六月、罰金一億二〇〇〇万円の実刑となった。右田辺の場合との権衡を考えれば、被告人については懲役刑は求刑通り、罰金は一億二〇〇〇万円としても、懲役刑につき、執行猶予の期間を四年あるいは五年付されるのが相当である。被告人に対して一挙に実刑というのでは、同じ岡山地方裁判所でありながら、余りに均衡を失すると考える。

2、また大阪高裁裁判所第五刑事部には、ほ脱額が七億円を超える所得税法違反、法人税法違反で昭和五七年に大津地方裁判所に起訴され、同裁判所で執行猶予の判決を得ながら控訴している事例があるので(平成元年(う)第一〇七五号、被告人安こと安千一)量刑の資料として、この事件の一審判決の謄本を当審において取寄せ申請する所存である。

3、さらに古いところでは、昭和四六、四七年に合計四億五八〇八万二八〇〇円の所得税をほ脱したとして昭和四八年に東京地方裁判所に起訴されながら、昭和五六年に懲役二年、罰金六〇〇〇万円、懲役刑につき三年猶予の判決を得て、そのまま確定したという例もある(被告人戸栗亨に対する所得税法違反事件、判例時報一〇一六号三頁以下)。

七、以上の理由により、原判決は刑の量定において、懲役刑については刑の執行を猶予すべきであるのに、これを実刑に処した点において量刑を誤っているので、原判決を破棄し、適正な裁判を求める次第である。

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